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ホノルル空港がダニエル・K・イノウエ空港に!何をした人?
先月5月30日にホノルル空港が「ダニエル・K・イノウエ交際空港」
を祝う式典が、ホノルル空港で行われ、
ホノルル空港の看板がホノルル空港から、
「ダニエル・K・国際空港」に交換したそうです。
空港に名前がつくほどの「ダニエル・K・イノウエ」さんて、
何をした人なんでしょうね。
簡単に言えば、ホノルル出身の上院議員。
第二次世界大戦で右腕を失っても、戦後は53年に渡り上院議員を務め、
日米関係に貢献した人!!
いやー簡単に言ってはいけない感じがしますね〜。
本当にすごい人!!
いっぱいありすぎて、
何に貢献したのがメインなのか、解らなくなるくらいです。
まず、「ダニエル・K・イノウエ」
(これ以降はイノウエ氏で記名します。)は、正式には、
「ダニエル・ケン・ダン・イノウエ」
人種的には、父が日本人の兵太郎さん、
母が日本人のカメさんですので、純日本人!!
国籍的には、アメリカで生まれたので、
アメリカ人!日本国籍は持っていたかは不明!
ホノルルで育ち、
ハワイ大学で学び、医学の道を目指していたんだそうです。
丁度その時期に第二次世界大戦が起こり、ハワイで医療支援活動を志願!
その後アメリカ軍を志願して陸軍となり、
その時イノウエ氏に事件がおきました。
陸軍として戦っている最中に、
イノウエ氏が手榴弾を投げようと、右腕を上げたその時、
ドイツ軍が投げた砲(グルネードランチャー)が上げた右腕に命中し、
右腕が切断。(+o+)
その時イノウエ氏は、自分の切断された右腕に持っていた手榴弾を左手で取り、
ドイツ軍・トーチカ軍に投げ込み命中させたそうです。(+o+)
それでも諦めること無く、
右腕を失った状態で、機関銃を持ってドイツ軍と戦い続けたそうです。(+o+)
イノウエ氏は、英雄として勲章を授与されました。
凄すぎ!
右腕を失って、医学の道を諦めハワイ大学に復学し、
今度は政治学を学んだんだそうです。
その後、ハワイ大学を卒業し、
次にジョージ・ワシントン大学の法科大学院に進み博士号を授与され、
1954年には、友人で同じ退役軍人の
「エルトン・サカモト」「サカエ・タカハシ」とともに
「セントラル・パシフィック・バンク」を設立したんです!
現在もロイヤルクヒオホテル近くでは、
ワイキキトレードセンター通りにあります。
という事は「セントラル・パシフィック・バンク」の設立者は日系人!!
ビックリですね〜。
残念ながら私はファースト・ハワイアン・バンクを利用してます。
イノウエ氏はそのような凄い人だったんですね〜。
それだけではありません、
その後も政界に進出してアメリカ初の日系議員となりました。
議員としても凄すぎで、戦時補償法の制定や、
ウォーターゲート事件
(1972年に民主党本部で起きた盗聴侵入事件に始まった、
アメリカの法治事件)や、
イランコントラ事件
(アメリカのドナルド・レーガン政権がイランへの武器売却代金を、
ニカラグアの反共ゲリラ(コントラ)の援助に流用していた事件)等の、
上院調査特別員委員長となり注目を浴びたり、
上院歳出委員会の国防省委員会で上級委員として、
オバマ政権で閣僚をを務めたエリック・シンセキの、
陸軍参課総長も務めていたんだそうです。
イノウエ氏は連邦議員生活53年間上院議長という地位にありました。
上院議長と言えば、アメリカの議会政治の権力の順位で言うならば、
NO1はアメリカの大統領 NO2が、副大統領
NO3が、上院議長という、高位置!!
未だに人種差別の残るアメリカで、日系議員としてここまで成功した例はないそうです。
その他イノウエ氏の貢献は、ハワイが沢山の連邦補助金を獲得するのに、
手助けした、大物政治家!!
ハワイでは州知事より、ハワイへの影響が強かったと言われてます。
また、オバマ大統領よりも英雄視されていたようです。
その他、全米日系人博物館(ロサンゼルス)の理事長も務めており、
軍人に贈られる最高位の勲章である、名誉章も受賞してます。
ナポレオンの栄典制度のレジオンドヌール勲章も受賞してます。
2011年の東日本大震災の3か月後には、日本を訪れた際には、
「暴動や略奪が一切なかったと聞きましたが、私はアメリカ人ですが、
同時に日本人である事も非常にほこりに思いました。」
と賞賛していたそうです。(#^.^#)
両親が日本人ですので、日本人への暖かい気持ちが有ったんでしょうね。
また、大日本帝国軍人の中国や韓国の慰安婦への暴行があった事に関しても、
日本政府が1994年にそれを認め、謝罪した事を尊重すべきと、
日本国外諸国との良好な関係を続けるという目的から、
新たに謝罪を求めている国に対して反対したそうです。
そんなイノウエ氏は義理人情の熱い人だと言われてます。
また、ホノルル空港の発展や維持にも貢献していたようです。
まだまだ、出てきそうです。
色々な分野で色々な貢献をしてきた人なんですね。
オバマ大統領が、「イノウエ氏が居なかったら、私はここに立って挨拶をする立場になっていなかったであろう。」
と追悼式で挨拶していたそうです。
というのは、オバマ大統領がまだ11歳のころ、
テレビでウオーターゲート事件追及の先頭に立って指揮している、
イノウエ氏の姿をみたのが、政治への道に進むきっかけになったんだそうです。
よほど恰好良かったんでしょうね。
憧れるほどですからね。(*^_^*)
きっと、沢山の人に影響を与えてきたんだと思います。
見るからに暖かそうな感じの人ですしね。
心が優しく、自分の事より人の為に一生懸命になる人だったんではないでしょうか。
格好いいですね〜。
人の為、国の為に生きた「ダニエル・K・イノウエ」氏は、
ハワイの主流空港の名にふさわしい人でした。(*^。^*)
享年 88歳!!アメリカは日本の様に定年が無い場合が多いんです。
88歳までこの重要なポストを務めたイノウエ氏、
日本人として、ほこりを感じた日でした。(#^.^#)
市章
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